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≪稽古についての当会指導者の考え≫

 合気道にはいくつかの顔があります。合気道のもとになった武術は本来、敵を制圧する格闘法ですが、わたしたちはそれを利用して健康法や精神修養など、それぞれの目的に応じて稽古に励んでいます。

 しかし、いろいろな目的があるからといって、異なる稽古法があるわけではありません。やっていることはみんな同じです。

 

 合気道ではひとつの技を左右同じようにつかえるような稽古をします。これは成長期にある小中学生(少年部)にとって、バランスの良い発育に寄与します。また、技を施す前後に挨拶をし稽古相手への感謝を示すことで心の成長も期待できます。

 

 社会人の多い一般部(高校生以上)では、特に日常生活に支障をきたすようなケガをすることのないように気をつけて稽古することを心がけています。合気道は護身法でもあるわけですから、身を護るための稽古をしてケガをするのは本末転倒です。そのことをよく理解して、無理せず楽しく稽古することが大切です。

 

 ただし合気道は武道ですから、強さがなければ存在価値がありません。十分に体を練り上げた上級者にとっては、開祖植芝盛平先生が示された精神の高みと無敵の境地を目指し、一層の精進を続けていくこともまた新たな楽しみといえるでしょう。

 

 多様な価値観が共存する現代、いろいろな技芸や楽しみごとがある中で、なぜ合気道なのかという問いに正面から向き合い、揺るぎない確かな道を見つけたいものです。

 なお、いずれかの道場において一通りの合気道技法を修め、さらなる探究を志しておられる上級者の方にはどなたであれ出稽古を受け入れます。どうぞ気軽においでください。

大崎合気会主宰   角田 稔(つのた みのる)略歴

 

昭和46年 (財)合気会大塚道場明道館において合気道の門をくぐる。同道場には昭和50年まで在籍し、奥村繁信師範他に手解きを受ける。

同道場在籍のまま、昭和47年頃より黒岩洋志雄師範に師事するとともに、西尾昭二師範をはじめ多くの優れた指導者の教えを受ける。

黒岩洋志雄師範(1932~2010)には最晩年まで指導を仰ぎ、その卓越した理論と技法を学んだ。

 

大崎市においては昭和51年(当時古川市)に任意の同好会を設立し、自身の修行を重ねるとともに、己の技量の範囲内において指導を始める。

平成10年に古川市武道館合気道場という名称で正式に合気会傘下道場として認可される。

その後、平成の大合併による大崎市の誕生にあわせ、名称を大崎合気会に変更、現在にいたる。

 

合気道六段       

 

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